お仕事の原点

余命3年だったとは・・・

9歳の私は紫斑病性腎炎という大きな病気にかかり、長期入院をしました。
その時の記憶は断片的にしかなく、子供心に苦しくて辛かったから記憶から
消している部分があったのだろうと思っていました。
記憶があるのはとても怖かった。痛かった。わがままだったけど、
付き添いなしで寂しさを我慢を沢山してた。
みんな私の後から後から入院してもどんどん退院していった。
スーパーマリオばっかりしていた。
時々、絶対安静にムカついて車椅子で病院内を暴走してめっちゃ怒られた。
更に絶対安静にムカついて脱走した。また怒られた。
小児科の主になっていた。

唯一の私の入院生活の光は
病院近所の祖父母と叔父叔母がいつも会いにきてくれた事。
そして何より
母が夜遅くに毎日会いに来てくれる事。
そして、一緒にかめ英さんの雑炊を持ってきてくれる事。
その雑炊の味は未だに覚えていて、
20代後半、一度、かめ英さんのおかみさんと息子さんに逢う機会があり、息子さんに熱く語られた記憶がありました。
たまたま友人がかめ英さんお店の内容をシェアしてたので思わずコメントしたら、息子さんから
こんな素敵な事を書いて頂きました。

去年から食べ物とか腸内環境とか身体の中に意識が向いた今だから余計にこのお話は心に響くものがありました。

自分が余命3年だったのは初耳でした。。。💦
というか殆ど、記憶がなかった
お姉ちゃんが一緒に入院してたのも。
本間先生までそんな事をおっしゃっていた事も。
かめ英さん生かして頂き本当にありがとうございます。
おかげで結構余命から生き延びております。
おかげさまで健康美容のお仕事をさせて頂いております。
病気にならなかったら今のお仕事にもついてないし
今までの大切なご縁になかった。

だから私は病気になった事は意味がありました。
病気になってよかったと思っています。
お客様と皮膚だけじゃない話もできる。
キッズ達の葛藤も少なからずわかる方だと思う。
皮膚は臓器という意識も強く、
ただ、塗って綺麗に魅せる事が仕事じゃないと心底思ってる。
健康と美容は密接だと体感出来ました。

未だに私はあの味覚えています。あの暗い暗い入院生活の唯一の楽しみでした。また、食べたい。


私の原点です。

私は美容家でお医者様ではないので出来る事は限られています。

現在も新型コロナウイルスという得体の知れないウイルスに全世界が混乱していて自粛という形で感染を防ぐ事でしか貢献できません。
時々、LINEで皆さんと連絡を取って元気ですかー?とコミニュケーションを取る事がいま出来る精一杯。

本当は営業をして皆様とお話ししたいけど、まだ、我慢が必要です。


力不足は感じますが一度、死に掛けた私はきっと、私にしか出来ない事があるからこのお仕事についてるんだろうな。って思いました。
そして、この異常な状態でも私が意外と元気なのは子供の頃の経験から生み出したテクニックなのだろうと思います。

私がメンタル崩れたら、家族もお店もお客様も守れないわ。

と思っています。ストレスって病気に勝てなくなるのです。
ストレスが溜まらない方がおかしいけど

少しでも溜まらない様に

お客様から頂いた素敵な

今の生活を過ごすアドバイスを添付します。

1人でもこの情報で今よりも自粛生活を

『enjoy』『楽しめる』ます様に。

お客様がお店の会員様に配信した記事
(外出自粛中に心を健康に保つヒント。ニューヨークの精神科医が書いた記事を私の元同僚が英語に訳しました)をシェアしてくださいました。是非参考にしてください。

O様、読みました!凄く良かったです♬

https://note.com/here_now/n/n5f8dddfac23c